November 24, 2005

新規購入書籍(2005.11.24)

「森鴎外 文化の翻訳者」
長島要一著
(岩波新書新赤版976)

「夜市」恒川光太郎著


選考委員激賞の、第12回日本ホラー小説大賞受賞作

[ 著編者 ]
恒川光太郎 デ:片岡 忠彦

[ 内容 ]
何でも売っている不思議な市場「夜市」。幼いころ夜市に迷い込んだ祐司は、弟と引き換えに「野球選手の才能」を手に入れた。野球部のエースとして成長した祐司だったが、常に罪悪感にさいなまれていた――。

発売日:2005年 10月 25日
定価(税込): 1260円
四六判
ISBN 4-04-873651-5-C0093
編:書籍

森鴎外 文化の翻訳者
長島要一著
(新赤版976)

 
 「翻訳」から文豪の創作の秘密にせまる

 文豪・森鴎外の膨大な作品は小社の全集で全38巻にまとめられていますが、その半分以上が「翻訳」だということをご存知でしょうか。9年間かけて訳了したアンデルセンの『即興詩人』をはじめ、イプセンの『ノラ』や『幽霊』、名訳の誉れたかい『於母影』(これはすべてが鴎外というわけではありませんが)、ゲーテの『ファウスト』、ストリンドベリの戯曲『債鬼』などなど、実にバラエティに富んでいます。

 文学者の全集はさまざまですが、鴎外のように「翻訳」が多いものは他にはないでしょう。軍医としての多忙極まる日常生活を送っていた鴎外がその合間をぬって、なぜこれほどの量の「翻訳」をしたのでしょうか。

 この本は長島先生がその謎に正面から挑んだ意欲作です。鴎外の膨大な「翻訳」とその原作の関係を鋭く分析しながら、「翻訳」が鴎外の創作にどのような影響を与えていったか、「翻訳」と創作の関係を論じていきます。その手際は見事なものですが、その点については本を見ていただくとして、そこから何が見えてきたのでしょうか。それは、鴎外の「翻訳」が、単なる言葉のレヴェルの「翻訳」ではなく、西洋文化との格闘の成果ということです。

 この「文化の翻訳」という視点が、鴎外の時代から100年たった「グローバル時代」の今も有効ではないか、というのが長島先生の結論ですが、読者のみなさんはどのように読まれるでしょうか。
(新書編集部 平田賢一)




■著者からのメッセージ
 鴎外は、時代の子の宿命だったとはいえ、西洋文明と日本の伝統文化の間に立ってさまざまな形での「翻訳」を生きた先駆者でした。鴎外にとっての「翻訳」とは、終始一貫して「文化の翻訳」でした。だからこそ、狭義の翻訳を超えた地点でホンヤクする人生を送っていた鴎外の「翻訳ぶり」に、二十一世紀を生きるわれわれはいろいろと学ぶべき点があるのではないでしょうか。
 この良くも悪しくもグローバル化されてしまった時代は、「文化の翻訳」なしには生きていけません。純粋な単一文化など概念でしかなくなってしまった今、異文化をいかに消化・吸収していくかが、グローバル時代を生き延びていく上での至上命令になってきています。モノも情報もいつでも必ず文化のフィルターを通して伝達されています。そこでは必然的に「誤訳」が生じていることを知るべきです。けれども、そうしたズレを放置しておいて葛藤の源泉になるがままにしておくか、あるいは洗練された「翻訳術」を駆使してプラスの要因に変換させていくことができるかどうか、それが地球諸地域で目まぐるしく変貌している現代文化の進歩の度合いを測るメルクマールになると思います。
 日本も「翻訳」する側から「翻訳」される側に移っています。八方「翻訳」だらけの毎日を生きる知恵を身につけなければなりません。ともかく誤訳を恐れずに訳してみることです。唯一正しい訳はないと楽観して、たえず対話を通じて修正を行ない、コメントをすること、それしかありません。  
(本書「終章」より)




■著者紹介
長島要一(ながしま・よういち)
1946年コペンハーゲン大学よりPh.D. 取得
現在―コペンハーゲン大学異文化研究・地域研究所副所長、森鴎外記念会名誉会員
専攻―日本近・現代文学、比較文学・比較文化
著書―『森鴎外の翻訳文学』(至文堂)
   『明治の外国武器商人』(中公新書)
   “Iwano Homei's Theory of Literature”
   “De dansk-japanske kulturelle forbin-delser 1600-1873”
編著―“Return to Japan”
訳書―E・スエンソン『江戸幕末滞在記』(講談社学術文庫)
   セシル・ボトカー「シーラス・シリーズ」(既刊13巻、評論社)
   『あなたの知らないアンデルセン』(全4巻、評論社)ほか

14:44:52 | akybe | comments(0) | TrackBacks