July 27, 2006

CIT: 真柳 誠の「気になる気」

気になる気
(真柳 誠)


 
「気が気になり、気が気じゃない」。一瞬、???となる文章だが、よくみると日本語として何も問題はない。意味もはっきりしている。しかし、これを下手に漢文に直訳すると「気為気、気非気」というナゾナゾめいた文章になり、中国人には意味不明になってしまう。ましてや他の言語には直訳すらできない。つまり、この文章は外国語に意訳しかできない日本語独特の表現であり、かくもさように日本語には「気」が氾濫している。
 さて中国医学の根幹をなす概念が「気」であることは、いまや周知に属する。むろんその「気」は中国太古からの思想に根ざしており、必ずしも医学専門の概念という訳ではない。そして冒頭のように日本語にも「気」を含む表現があり、なかには本来は中国医学用語なのに日本で一般用語として定着したり、意味が変化したものがあって、以前から気になっていた。

 ところで、むかしパソコンを買ったとき『広辞苑』のCD-ROM版がおまけに付いていた。最近ふと思いつき、これで気の語彙を検索してみた。すると出る出る、「気」が語頭にあるのが 443件、末尾 にあるのが 416件もあった。ところが『中日大辞典』でみると「気」が語頭にある現代中国の語彙は 150件ほどしかない。日本語は中国語より「気」を多用 するという話を耳にしたことがあるが、まさにそうだった。「気の毒」やら「食い気」やら、中国語にない語彙もじつに多い。
 
 そこで日本語になった中国医学関連の代表的語彙を、日本語化と意味変化の程度で大きく二分して紹介してみたい。案外ここに日本的な気の傾向が窺えそうだからである。

 まずは中国語本来の意味からあまり変化せず、一般日本語に定着している運気・春気・暑気・寒気・湿気・邪気・胆気・血気・上気・脚気を挙げてみよう。

 運気・春気・暑気・寒気・湿気は医学用語にも転用された天の気で、それが生体に悪影響するなら邪気と呼ばれる。しかし、運気以外は現中国で一般に用いられることがほとんどない死語となってしまった。ちなみに、日本では邪気も一般用語化したため、無邪気という独自の語彙が生まれ、本来の一般中国語にも医学用語にもない意味で用いられている。

 つぎに胆気・血気・上気だが、皆もともと医学用語だった。たとえば医学古典の『素問』が、胆は「決断を出す腑」と規定したので胆気は「決断力」、さらに「きもったま」になったのである。いま中国では「きもったまがある」ことを「胆子大(胆が大きい)」というが、古くは「大胆」といい、日本語にも定着している。

 血気は文字通り血と気のことで、ともに生体を流通して全身にエネルギーを運搬している。それで「血気さかん」の表現が日本にあるのだろう。これをいまの中国語では、「気血方剛(気血がガチガチ)」という。上気も生体の気がのぼせ上がることだが、現中国の一般用語では「怒る(生気−気が生じる、ともいう)」「湯気が上がる」の意味でしか用いられない。

 脚気は4世紀、北方の動乱から南に逃避した漢民族が遭遇した足のなえる風土病で、米食中心のビタミンB1 欠乏症か黄変米などのカビ毒が原因だったらしい。唐代までその意味で用いられ、一般日本語としても定着している。ただし中国では、のち獣肉・乳製品の多い食生活に変化したためか発症が激減し、一般では死語となってしまった。その一方で「みずむし」を脚気と呼ぶことが始まり、いま一般中国語の脚気には「みずむし」の意味しかない。そして本来の脚気は医学専門用語のため知る人は少なく、ふつうは脚風湿や軟脚病などと呼んでいる。

 そういえば脚気を英語などでBeri Beri というのは最初に研究報告されたインドネシアでの病名に由来するが、かつて北京で売っていた「脚気水」という水虫チンキの箱には、「Beri Beri Water」 とも印刷されていた。あまりに笑えたので一本購入し、いまも記念に持っている。
 
 以上の語彙は、どちらかというと中国の古い意味で日本語となっていたが、のち中国では意味が変化したり死語となったりしていた例が多い。ならば中国医学用語が一般日本語として定着し、意味が相当に変化している例ではどうだろう。これを正気・短気・陽気・陰気・気味・元気で見てみたい。

 まず正気だが、本来の意味は邪気に対する生体の抗病力である。ところが日本語の正気は正常な気分や気持ちであり、気の意味が心や意識に変化しているようだ。短気もそうで、もともとは呼吸が短く息切れする状態をいうが、日本語の短気は気が短いことで、やはり気が心や精神の意味になっている。日本語の陽気・陰気も心や精神の性格を陰陽で分けており、宇宙や人体すべての気を陰陽に二分する本来の意味より相当に限定されている。

 気味はもともと薬物の性格を規定する概念で、病体を暖めるか冷やすかの寒熱温涼の気と、古代の栄養素ないし成分を象徴する酸苦甘辛などの味をいう。これは薬物の評価基準だったので、「気味が好い」「気味が悪い」という表現が日本で一般化したのだろう。そして薬物の評価がしだいに心理状態の表現に転用かつ限定され、さらに「小気味好い」「小気味悪い」という強調表現まで生じたに相違ない。

 元気もこれに近い。本来の意味は五臓の腎にある生命力の根源をなす気で、もちろん元気がなくなれば死に至る。ところが日本では心身の活動の源、さらに気力と体力を合わせた意味に転用され、ついに現在の元気という意味に限定されていったのだろう。

 こうしてみると、明らかに日本独自の語彙である男気・女気・浮気・悪気・平気・根気・血の気なども、みな心や精神の様子をいっている。むろん中国医学でいう「気」にも心や精神はあるが、より大きく根源的な「気」の概念から派生した一部にすぎない。

 ところが日本では気を精神や心の意味に制限する傾向があり、それで中国医学の気の用語まで一般化とともに意味が変化した。この一方で古い気の語彙を使い続けてきた。まさに日本が中国文化を取捨選択して受容し、その保存と日本化を同時になし遂げてきた歴史を体現している。日本の伝統医学もそうである。
 
 ちなみに冒頭の「気が気になり、気が気じゃない」は、以上からすると「気のことが心にあるため、心が正常を保てない」の意味であり、これなら外国語に翻訳可能だろう。でも中国語も日本語も、やっぱり「気」は難しくて気になる。






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July 24, 2006

新規購入書籍「小説の読み書き」

「小説の読み書き」佐藤正午 岩波新書1024 2006.6.20 C0295 \782 p.232

17:08:55 | akybe | comments(0) | TrackBacks

July 22, 2006

メモ:「日本倶楽部」と夏目漱石

「坂元雪鳥あての(夏目漱石からの)入社承諾の手紙は翌十六日に着いた。早々三山は十七日、漱石に手紙を書き、十九日、有楽町の日本倶楽部で会食に招待する。」
「朝日(新聞)側の使者雪鳥の訪問(二月二十四日)からわずか一ヶ月弱で漱石朝日入社が決まった。」
「新聞記者 夏目」牧村健一郎 平凡新書277 2005.6.10 p.23~24

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July 10, 2006

新規購入書籍 (2006.7.9)

論争する宇宙」吉井譲 集英社新書 2006. C0095 \E p.

タイガー・ウッズの不可能を可能に変える『5ステップドリル』」ルディ・デュラン 講談社 2005.10.20 C0075 \1600E p.286

桜の文学史」小川和佑 文春新書363 2004.2.20 C0295 \820E p.291

『日本』とは何か」神野志隆光 講談社現代新書1776 2005.2.20 C0221 \720E p.210

新版 水の科学」北野康 NHK出版1995.1.25 C1340 \950E p.254

私の聖書ものがたり」阿刀田高 集英社 2004.11.30 C0016 \1470E p.317

絵本を抱えて部屋のすみへ」江国香織 白泉社1997.6.301997.8.20 C0095 \1500E p.173

歴史に目を閉ざすな」ヴァイツゼッカー日本講演録 岩波書店1996.1.22 C0036 \1400E p.204

「ヴァイオリン・ 愛はひるまない
」黒沼ユリ子 海竜社2001.12.10 C0095 \1667E p.262

テニス 基本の基本」佐藤雅幸 学習研究社 1996.6.22  2002.2.22 第7刷 C0375 \860E p.117

心が〇なる50のメッセージ」菅野泰蔵 PHP 2001.7.27 2005.9.27 第9刷 C0095 \1000E p.123
 
出身県でわかる人の性格」岩中祥史 草思社 2003.6.6 2003.6.16 第3 刷 C0095 \1200E p.269

世界史のなかの自分を賢くみせる笑い話」三浦一郎 PHP 1995.11.24 C0095 \1200E p.203

腰痛は絶対治る!」中川卓爾 日本文芸社 2001.6.30 C0077 \1000E p.159





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July 09, 2006

CIT:[熱狂する自転車競走]「幸福先進国フランス」秋川陽二 講談社 1981.4.10

「幸福先進国フランス」秋川陽二 講談社 1981.4.10 ¥1200E p.286

熱狂する自転車競走
[一ヶ月にわたるフランス一周耐久レース]p.75

「さて、それでは、野球に興味のないフランスでは現在の新聞のスポーツ欄のトップ記事は何か、つまり初夏の季節、フランス人のもっとも関心のある運動競技は何かというと、日本にいる日本人でこれに正しく答えられる人はおそらくほとんどいないであろう。
じつは、これがなんと、自転車競走なのである。

自転車競走といっても日本の競輪のような競技場内での競走ではない。いわゆる長距離ロードレースで、それもえんえん一ヶ月にわたってフランスを駆けめぐるというという超長期耐久レースである。しかもそのコースのなかにかならずピレネーの山岳地帯とかアルプス山中とかのような急勾配の坂道が入っており、参加選手にとっては、人間の体力、気力の限界を試されるはなはだしく過酷なレースである。

首相より知名度が高いレースの優勝者」p.76

「このレースはフランスを一周するという意味でトゥール・ド・フランスと名づけられているが、すでに今年で六十七年という長い歴史をもっており、このレースの覇者は国民的英雄として永遠ににフランス人に記憶される栄誉をになうことになる。

日本の競輪ファンは国民のごく一部に限定されているが、フランスの自転車競走のファンは文字どおり老若、男女、貴賤、インテリ非インテリを問わない。

四、五年前の夏のある休日の午後、フランス人もまじえてブリッジの会を催したことがあった。
そのとき、私のパートナーのフランス人の中年女性が急にプレーを止めて、今日はトゥール・ド・フランスの最終日で、今ちょうどテレビでシャンゼリゼ通りの決勝点を映していると思うから、ちょっとブリッジを中断してその場面を見たいといいだし、驚いた記憶がある。

その婦人は日本語の漢字も読めるくらいのたいへんなインテリで、しかもブリッジが飯より好きといった感じの女性であったが、そのような女性でもトゥール・ド・フランスとなると、ブリッジを中断してでもテレビを見たがるのである。

マナーの悪い日本のケイリン競走ファン」p.78

「日本の競輪もそのスピードとスリルは素晴らしいものがあると思うが、どうも日本では自転車競技は国民のあいだで多少白眼視されているような気がする。

これはおそらく一部の競輪ファンがときどき焼き打ちなどの問題を起こすことがその原因であろうが、見物人のマナーが悪いためにその運動競技そのものが冷たい眼で見られるとすれば、選手たちが気の毒である。

一部のマナーの悪いファンのために、自転車競走のような美しい運動競技が正当に評価されないのはまことに残念である。
.........

 聞くところによると、日本のケイリン競走も近いうちに世界選手権種目に入るとのことだが、相変わらず日本の得意種目の輸出という発想ばかりでなく、トゥール・ド・フランスのような耐久ロードレースを日本にも輸入してみたらいかがであろうか。
 ヨーロッパの一流選手がトゥール・ド・ジャポンに参加する時代が来れば、日欧間の理解も一段と進むのではないか。」p.79

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