May 17, 2006

「狂気と天才」を巡ってーー作曲家池辺晋一郎氏と私の日記


作曲家の池辺晋一郎氏が、日経新聞の今日(2006.5.16(火)の夕刊(「こころの玉手箱」欄)に、民芸「狂気と天才」について次のように書いている。

「ある時観たある芝居が、完全に僕を演劇人間にするのである。
 大学一年の九月だった。並んで当日券を買ったのは劇団民芸の『狂気と天才」。今はもうない渋谷のと東横ホール。デパートの最上階だ。「キーン」という原題のこの芝居をなぜ観たくなったというと、作者がサルトルだったからだろう。あのころの学生は、サルトル、そしてボーヴォワールの思想について何かしら語れなければ仲間はずれになる感じだった。「存在と無」など実存主義の哲学書のみならず小説「嘔吐」や「出口なし」など戯曲も、サルトルの著作はほとんどバイブルだった。
(中略)
 さて、民芸『狂気と天才』は、村山知義演出、主演は滝沢修だった。この名優の、まさに最高の時代だったろう。僕は完全に圧倒される。
 芝居とはこんなにすごいものだったか…ただちに僕は、入学から半年の東京芸大の『演劇部』に入部する。」

 そこで、油絵科の女子学生で部長兼演出家に、演劇用に音楽を書くように頼まれ、しぶしぶながらも書き始める。


「のちに四百数十本もの演劇の音楽を書くことになる僕にとって、実習になったわけだ。そのモトは、あの「狂気と天才」だったのだ。」

 確か、同じ劇を観たことがあると思って、MacOSX Tiger自慢の検索機能を使ってこのHP(http://www.linkclub.or.jp/~akybe/)に掲載している日記に当たってみると、これまたあっという間に見つかった(これもすごい)。1963年9月22日の午後と夜の二回ににわたって、次に掲載するように、詳しくこの劇に触れているのだ。強いインパクトを受けたことがよくわかる。ただ、作曲家の池辺さんのように、「完全な演劇人間」にされ、「のちに四百数十本もの演劇の音楽を書くことになる」ほどの強烈なインパクトを受けたわけではなかったが。

 それにしても、その日から42年もたって、同じ劇を観たということがわかるということも、なかなか面白いことではないだろうか。




「私の日記
 1963年9月22日(日)

◆昨夜東横ホールに滝沢修(注)主演の「狂気と天才」を見に行った。鈴木力衛先生の訳になるサルトルの戯曲であり、劇団民芸が総力を挙げて取り組んだと言われるものだ。奥さんに入場券をいただいてルネちゃん達と一緒に行った。

 劇の導入部は西洋人気取りの大仰な身振りの何とか夫人とデンマーク大使夫人に少々辟易したけれど、滝沢の演ずるキーンが登場するに及んで舞台は一本針金が通ったようにピンと張りつめ見応えのあるものとなった。

 それにしても滝沢とは何という俳優であろう。その歯ごたえのある見事な演技に観客は陶然と酔っているかのようであった。まるで独白のような長いセリフを、3時間にも及ぶ長い舞台で少しの息切れもせず軽々とこなして見せ、語調、緩急、まさに思うがまま、観客の心を操り人形のように自由自在に揺り動かすのだ。確かに日本における一流の役者と言って良いと思う。

 さて、劇を見ながら、サルトルがこの劇で言いたいことは何だろうかといろいろ考えてみた。
 キーンのセリフの中にヒントになることが沢山あり、またその警句じみた語句にその場での共感を覚えたりしたけれど、あの劇全体がいわんとすることをつかむことは私には難しすぎるような気がする。まとまりはないかも知れないけれど僕が感じたことを少し書いてみよう。

 ぼくにはサルトルが俳優について書きたかったのではなくて、自分が書きたいことを書くのに俳優が必要だったのではないかと思えた。サルトルは確かに俳優の本質的なものをするどく見抜き、俳優というものを描き出しているが、彼の直接的な関心は人間そのものにあるように思われた。俳優という自分自身とは別に役どころとしてロメオをやりハムレットをやることを商売としているものでなくても人間そのもの、普通のごく当たり前の人間もいつも何かの演技を行っているのだ。俳優は自ら演技しているということに比較的意識的である。これに反して普通人は自ら演技しているという意識なしに演技し、自らそのものであることとのけじめもなくなってしまう。まさしく我々が劇の終幕近く、虚偽と真実の目まぐるしい転換に、<白と黒>とのけじめを付けかねて混乱するように、演技者である我々そのものが常日頃かかる混乱を演じているのだ。

 いったいどこまで鮮明に我々は自分自身の真の姿と演技にすぎぬ自分の幻とを区別できるというのか。まさしくこの世には確実であるものはごく僅かしか存在しないのだ。我々の人間としてのそうした日常的な意識されざる演技ー自分自身を偽った幻の自分を相手に印象づけようとするそうした演技から、自らを解放することによって本来的な人間に立ち返ることができると言うことを、サルトルはいわんとしているのではないだろうか。

 キーンという性格もまたサルトルの関心ではあったのだろう。そこには自意識過剰の痛々しい近代人がのぞいている。

「これほどのうぬぼれを持ちながら自分自身が尊敬できないとは!」
とキーンは頭を抱え込んで苦しむのだ。ここに自らの姿を見る人も多いのではあるまいか。今日において自分自身が尊敬できると考えることこそ最大のうぬぼれなのではないだろうか。解決せねばならぬ緊迫した大問題が山積し、しかもその前にあまりにも無力で、かかずらうことを極力排斥して生きている我々という存在は、よしんば他人からは尊敬されることはあっても、自ら尊敬できる存在ではもはやなくなっているのではないだろうか。

「オレは自分自身の前で自分を演じてしまうのだ」

 これこそ現代人の自意識過剰の病の自覚症状である。我々は得てして自分自身にまで自らの偽りの姿を見せつけようとするのだ。そこには様々のジャスティファイの口実が使われる。しかし、そうした口実も必要としなくなり、いっさいの自覚症状が消えてしまい、ついには自らに自らを演じて見せているに過ぎぬ自分というものに気づかなくなってしまう。そこにはもはや持って生まれた天才も、埋もれた才能も開発される機会はない。

 我々はそうなる前に立ち直らねばならぬのだ。自らがいかなる人間であるかということをしっかりと知らねばならない。いったん自らの価値に気づくならば、今までの偽りの生活が愛おしくなろう。そうなったとき我々がキーンのように、プリンス・オブ・ウェルズにステージの上から、
<黙れ、ここではオレが王様なのだ>
という言葉を投げつける勇気があるかどうかということに一切がかかってくるのだ。今までのごとき演技でもって君を評価してくれていた人々に対し、天分に目覚め、自らの人間に開眼した君の立ち居振る舞いはまさに狂気のなさしめるものに見えることだろう。「狂気」とはすなわち「赤」のレッテルと同じく、社会において人間の行動を規制する大きな負の呼称の一つである。自らを解放することにより、自分自身を自分の目で見、自らの価値で評価することより、他人の目で見て貰い、他人の価値で評価して貰うことに重きをおく人は、まさしく自らを「狂気」の狂おしさの中に解放できず、他人の鎖につながれたまま生涯を終えねばならないのだ。

(注)滝沢修 2000.6.22、93歳で死去

日記1963年9月22日
Sunday

◆今さっきまでテレビの「狂気と天才」を見ていた。芝居が終わってから村山知義が解説していたけれど、僕が昼間感想文で書いたのと同趣旨のことを少々話していた。僕は僕の感想がまったくいかなる解説書いかなる解説からも影響されていないということをここにはっきり言っておく必要がある。僕は他人が作ったチーズを自分が作ったごとく店頭に並べるチーズ商人にはなりたくないからだ。

 とにかく最後の方だけは2度見ることにはなったのだが、2度見ても少しも飽きることなく、またしても引きつけられるようにして舞台を見つめることになった。そして昨夜は感銘を受けながら忘れてしまっていたいろんなセリフに出くわしてその意味を色々と考えてみる機会を得た。

 キーンが言う、シェイクスピアのTo be,or not to be,that is the question. をもじっての「行為か、演技か、それが問題だ」というセリフの重さを僕はもちろん感想文を書きながら感じていたのだけど、この明確な言葉では捉えていなかった。

 主体的な行為であるか、単なる狂言回しの演技であるか。この問いは我々の一挙一動に向けられなければならないのだ。ポーズを取る、と我々はよく言う。演技をするとはまさにそのことを差しているのだ。一日一日の習慣的な生活の中で我々はまるで役を割り当てられた俳優よろしく、その役を演じることにすべての意を注いでいるのだ。その中に自分自身というものが生かされているかいないかなどにはお構いなく、そしてむろんそうした無関心のうちに自分を次第に見失いながら、我々は懸命に演技をし続けるのだ。そこには意志に基づく主体的な行為が存在しないのは言うまでもない。


 サルトルはこうして他人のチーズをそのまま売るチーズ商人に対して痛烈な批判と警告を与えているのだ。」




11:09:20 | akybe | comments(0) | TrackBacks