May 07, 2007

手締め



 私が、自分が最も日本人だなと思うのは、「手締め」の時である。
 リーダーが、「お手を拝借!」と言いながら、両手を左右に開く。私も周りの人もそれに合わせて左右に手を開く。
 リーダーは、「ヨーイ」とかけ声もろとも思い切り手を叩く。私も周り の人もリーダーに合わせて思い切り手を叩く。
「シャンシャンシャン!」
 これは、もちろん全員の手を叩いた音だ。まるで一人の人が叩いたように、一瞬の乱れも無く、物の見事に決まる。
 物事が無事に終わったときやパーティの中締めのときなど、卑近なケースに限らず、年末の証券取引所の大納会でも、手締めの光景が見られる。そこに、何人いようと、関係ない。いつも、一糸の乱れもなくパシッと決まる。決まるとすきっとする。周りの人もすっきりした顔をする。
 こんな風習が他国にあるか知らないが、日本人ほど、うまく決められる民族はそれほど多くないように思う。
 というのも、日本人は、生まれたときから、お互いに気を合わせて物事を一緒にやる訓練を受け続け、大人になるときには、こうした文化を十分身につけているからである。
 いや、逆に言えば、こうした文化を十分身に付けていないと、日本人と しての適格性を疑われることになる。手締めで、ワンテンポでも遅れるようだと、周りの人から白い目で見られることになる。
 私には、周りの人と気を合わせるということが、日本人の基本気質を形成しているように思える。
 その意味で、日本文化を「気の文化」と名付けてもいいだろう。「木の国」というが、日本は「気の国」でもある。




15:25:47 | akybe | comments(0) | TrackBacks