April 15, 2005
1964.7.17
1964.7.17金曜日
〇おばさんから試写会の券を頂いたので、Katchinを誘って見に行った。ヤマハホール。「Becket」素晴らしい映画だった。Richard BurtonのBecket、Peter O’tooleのHenry?。この二人の性格俳優の迫力ある演技が見ものだった。原作が劇作家ジャン・アヌイの戯曲であるだけにセリフ回しがまた見事だった。観客の心をとらえて離さない巧みさが感じられた。演出は70mm映画らしい重厚さで、最後まで観るものをして飽かさせないところはさすがである。
〇映画のあとで新宿の「風月堂」に行った。Katchinと色んなことを話した。お互いの男性観、女性観。愛について、恋愛、結婚のこと。彼女も多弁で自分の胸のうちをあれこれと話してくれるのだった。
僕が小島さんと恋人のことを話すと「素敵ねぇ、素敵ねぇ」と何度も繰り返し、「小島さんという人、とってもロマンティックね。会ってみたいわ」とも言う。愛されたとき女性がどんな姿勢を取るか、ということから小島さんの恋人が今たとえそんなそぶりをとっているにしても、絶対に大丈夫だと念を押すのだった。
「私は繊細な人が好き、思いやりがあって」と彼女は言う。小島さんが相手の人の心がつかめなくて不安だという話をし、男性は相手の人の心理がわからなくてとても不安なものだと言うと、女性の方がもっと不安よと言う。話しながら、僕らの瞳は何度かぶつかり合い、時には耐えられなくなるまで、じっと見詰め合って、ツト眼を逸らしてしまうのだった。
僕らの言葉の陰に僕らの愛が読み取れる。思わず抱きしめてやりたい愛らしさだった。
「私は以前はプラトニック・ラブの憧れていたけれど、今はそんなものは本当の恋愛ではないように思うの。どんな女の人だってそうだと思うのよ。プラトニック・ラブなんて不自然な気がするわ」と彼女は言うのだった。
「私は失恋だけはしたくないわ。もし、味わわずにすむものならば」「私の愛を、私の青春を刻み付ける人は一人あれば十分だわ」
ああ、僕らは風月堂で何と多くのことを語り合ったことだろう。お互いに相手の心のうちを手探りしながら、たった一言の「愛している」という言葉を探し求めて。二人の話に、二人の見つめあう瞳の中に、たとえ多くの不安を伴うものであっても、僕らはお互いの愛を確かめ合っていたのだ。
8時ごろそこを出た。出口に向かいながらKatchinが「これからあなたにあまりお会いできないわ」と言う。「なぜ」と聞くと、「つきあっている人がいっぱいあるのよ」。新宿駅に向かう通りはひんやりとしてた涼しい風が吹いていて気持ちが良かった。
「何人とつきあっているの、4、5人」「ううん」と、首を振る。「2、3人」「いいえ」「じゃー、2人」「まぁそうね…でも、こんなに遅くまでつきあう人は阿部さんだけよ」「もう一人の人に会うのが忙しくて僕とはあまりつき合えないというの」「そんな意味じゃないわ。私こわいの」「こわいって、僕が」「男の人はみんなこわいわ」と幾分はぐらかす。「どうしてこわいのかなぁ、教えてくれる」「教えない」「教えて」「それじゃ」と言いかけて、あわてて「やっぱりよすわ」「でも、そこまでいって、言わないのは罪だよ」
彼女はそれでもためらっている。僕が「是非」と、懇願すると、彼女はちょっと前を向いたまま緊張して「それじゃ、言うわ。これ以上お会いすると本当に好きになってしまいそうだから。失恋したらと考えるとこわいのよ」
ああ、Katchin。僕はそのとき、君を抱きしめてやりたかった。
「でも、恋の結末がわかってから始める恋なんてあるだろうか。僕だって不安なのだよ。恋の結末なんが、最初からわかりはしないのだし、その結末に責任を持たねばならないと思うと、本当に好きだと思っていても実際の行動に簡単には移れないんだ。お互いが傷つかねばならない結末は不幸だし。僕らの不安がわかる?」「わかるわ」
西口からBasで帰るという彼女を送って地下道の入口のところまで行った時、彼女が突然に「私って本当につまらない女でしょ」と僕の方に振り返った。「自分の素晴らしさに自分では気がつかないの。君は素晴らしいと思うな。つまらない女性だったら、どうして僕がつき合うさろう。さっきも言ったように、僕は、好みにも厳しいんだよ」
僕らの眼にはもうそこを行き交う人々の姿は映らなくなった。ただ、歓喜のうずくような痙攣が胸を締め付け、手足をしびれるように走り抜けた。人ごみに押されて、我々の手が偶然触れ合った。いつもよりほんのちょっぴり長くそれが続いた。それだけでもう、何か息が詰まるような感じがした。だけどそのときはもう、Bas StopのあるGo Stopのところまで、来てしまっていた。
「ここまでで、いいわ」彼女は言った。折りよく信号がGreenに変わった。彼女はすばやく歩道より一段低い車道に下りて、僕の方を振り返った。彼女は僕を見上げた。その笑顔。輝くばかりのひとみ。僕の視線をまともに見返しながら、彼女は「今日はどうも」と少し腰をかがめた。
あの笑顔が、僕の眼底に焼き付いている。もし、幸福が、そして何がしかのおののきが、その顔で輝いていなかったとしたら、恋をうまずめと言わねばならなかっただろう。「またね」と、僕は言った。彼女は恥ずかしそうな口元で少々甘く「ええ」と答えた。くるりと振り返ると、人ごみにもまれながら霧雨の中を遠ざかって行った。
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