April 13, 2005
1964.7.3
1964.7.3金曜日
〇永遠というものをカチリと両歯の間に噛み締めて、ああこれが永遠というものなのだと思わず知らず叫びだしたくなる時があるものである。
しかしながら、永遠というものの体験そのものは、あくまで個々人のものであるので、決して永遠のものではありえないのだ。我々は一個の人間として、永遠の時を感じ、永遠の美を想う。だが、それは隣人にとっては意味がないかも知れない。人間の歴史は無数の隣人の系譜である。太古から現代まで我々はあまりに縁なき隣人どもを多く持っている。
〇昨夜、映画を観た。”春のめざめ“。美しい映画だった。私は少なくともこの映画制作者の隣人でありたい。観客にとってもはや主人公の名前などどうでもよい。永遠のものとしてとらえられた少年と少女の、それはあくまでも美しい牧歌劇である。永遠というもの以外の何ものでもない少年と少女の一挙一動に私は深いため息をついたのだ。あの少女のなよやかな春をはらんだ肢体の美しさ。謎を潜めたあのまなざし。甘い耳底に快いあの声。おお、その一瞬一瞬に永遠を発散させて少女はなおも豊かである。
「いつまでも愛してくれる?」少女は尋ねる。「いつまでも」少年は答える。
そのとき少女の頬を伝う涙を見なかったろうか。ああそこにこそ永遠の愛の姿がある。永遠に汚れることのない最初の愛の言葉がある。この無常な世の定めはこの少女の肉体さえやがては蝕んでしまうことであろう。しかし、その日の美しい少女の面影は永遠に私の中に定着して消えることはない。(午後1時ごろ)
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