December 24, 2007

フェイス・ツー・フェイスのコミュニケーション


「フューチャリスト宣言」の中で(p.60^)著者の梅田望夫田はメールで代行できないか実験している。

阿部毅一郎記(2007/5/16)
 
 フェイス・ツー・フェイスのコミュニケーションが重視され、出張してコミュニケーションを図り、電話やメールで代行するさえしない。それは、同じ”気”のウズの中に入らなければ本当のコミュニケーションはできない(と考えている)からである。

ウズ社会については、秋光翔著「文化としての日本的経営」中央経済社 1990 参照


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CIT:アラン(美をつくるもの、模倣)

           2007年12月24日

アラン(1868-1951 「芸術に関する101章より」斎藤正二訳)


美をつくるもの

「美をつくるものは、健康で、自由で、断定的で、大胆な、歓喜の衝動だ、というふうに、私は考えたくなるのである。美をつくるものは、人間と物との友情である、といってよいかもしれない。たいせつなこと、それは、自然の対象を生のまま素のままに受けとめることである。
 すべて教えられたもの、他人の受け取りかたを模倣したものは、見ていて、情けなくなってしまう。修辞家の美辞麗句、化粧術、リボンの波といった、他人を喜ばすためにつくられ、自分自身の喜びのためにつくられないものが、それである。」(p.10)


模倣

「もっともすぐれたものは、どの時代においても、つねに、もっともすぐれた形式を模倣するところから生まれたものである。すぐれたものは、そのどれもこれもが、模倣しつつ発明したものである。おそらく、今日でも、そのとおりであろう。…今こそ、傑作を模倣しなければならないのだ。伝統というものは、歴史を軽蔑することによって、そして失敗作を忘却することによって、はじめて、はたらきうるものである。…模倣し、模倣しぬくべきである。そして、模倣しながら発明すべきである。模倣することによって飛躍をうる芸術上の独創の秘密は、じつは、ここに隠されているのだ。それは、音楽家が、巨匠の書いた曲を弾くことによって、みずからの飛躍をうるのと、ちょうど同じである。音楽こそは、この道順を、いちばんよく説明してくれる。また、これ以外に道順はありえないことを、いちばんよく証明してくれる。」(p.13~16)

  ちくま哲学の森6 「詩と真実」1989.12.15より



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CIT:ジレージウス(箴言)

          2007年12月24日


箴言(アンゲルス・ジレージウス1624-1677 大山定一訳)

    箴言

薔薇の花に「なぜ」はない
薔薇の花は咲くから咲く
自分のことなどすこしも構っていない
人に見られるかどうか問いはせぬ

   おなじく

うつせみのおまえの眼が
きょう初めて薔薇をみた
しかし永劫のむかしから薔薇はこのように可憐に
たえず神様のふところに咲いていた


  おなじく

しぼりたての葡萄酒のように
あたらしい愛は泡をたてる
しかし年をへて澄とおる葡萄酒と愛は
とろりとただ湛えているばかり


       ちくま哲学の森6『詩と真実』1989.12.15 p.2より


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